叱られないということのキツさ
今朝方ラジオを聞いていると、こんなことで叱られましたコーナーのようなものをやっていました。
そのとき僕は、あれ?、僕って叱られたことないかもと思ったのです。
いや叱られたことはあります、ありますけど、あまり身にならない叱られ方というか…
どういうことかと言うと、相手が言葉を選んでる訳です。
こんなことを言ったら傷付く、またはいけないというルールがあるとか。
親にはそういうルールは僕が小さい頃は比較的少なかったですが、社会に出るとあまり叱られない社会が出来てたという印象でした。
代わりに、なんだか態度で怒りを表すみたいな感じとか、言われない怖さのようなものを感じたりして、見えない幽霊がさまよってるというか、我慢や鬱憤のエネルギーが強かったように思います。
または言葉にするにしても、オブラートに包まれてる奥のものを感じたり、本人が言えない怒りの方を感じることの方が多かったように思います。
いわば自分の中に溜め込む訳ですね。
そうするとどうなるかといえば、僕の場合ですが自分も苦しくなる訳です。
相手が苦しいのがわかるのでそれが苦しく、なので自分で自分を責める以外無くなるみたいな、内在化スパイラルという感じです。
これだったら、まだまともに叱られた方がマシというか、まともに叱られないキツさがキツイというようなことが起こっていました。
最近は大分マシな世の中になって来つつあるようにも思いますが、なんと言いますか、もう少しまともに言うべきことを伝えた方が、お互いの為になるという部分が、根強く残っている感じがします。
表面的には優しそうな顔をするのがうまくなってる社会って、怖い顔して実は優しい社会の方がマシなような気がしています。
なにか違うなぁ…
ルールや規則が先行してて、それに人間がいまいち着いていけてないという表現が、僕の中では一番適切かもしれません。
(とはいえ、バランスが取れてる人がいるのもまた事実としてあるとは思います)
日本人ってやっぱり我慢強いんじゃないかなぁと、個人的には思います。