小さな存在

今日はいつものように、車で海へ出掛けしばらくウロウロ、そしてあまり人が来ない公園に行き、エッサエッサとウォーキングして来ました。


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ウォーキングしている途中で、なんだか考え事をし始めていました。

最初は少し前に痛めた腕が疼くなぁと思ってただけでしたが、いつしか思考は思うように動けないもどかしさからか、一昨年に行ってたデイケアの人達のこと、母が昨日見学に行ってた養護施設の人達のこと等が頭に浮かんでいたように思います。

 

僕が行ってたデイケアというのは、SHIPという就労支援を受けるために、自分に順番が回ってくるまで、ちょっと社会から遠ざかっていた期間のリハビリも兼ねて行ってみようと思い、通っていた場所です。

 

主にメンタル的に不調をきたしてたり、うまく社会生活を送ることが難しい人達が、9時~15時まで過ごす場所という感じでした。

 

通ってみると、大抵の場合どこに問題やハンディキャップがあるのかわからない人が多いという印象でした。

如何にもメンタル病んでるなぁという風に見える人はほとんど居ないという感じでした。

 

ただ、僕のフィルターがそうさせる部分も大きかったと思いますが、大人が通う小学校というような感じもありました。

また、ゆるいスクールカーストのようなものもあるなぁという印象でした。

(他の人がそのことに関してどう感じていたかはあまりわかりません)

 

自分から話しかけないとずっと黙って座ってる人もいたりしたので、頑張って話し掛けたり、話し掛けてももらったりしていました。

 

ただ僕がずっと気になってたのは、この人達って何故こんな所にいないといけないんだろうというようなことでした。

仕事を持っててたまに来る人達もいたので、社会との接点がない場所という訳ではありませんが、なんとなく地下室という感じがしないでもないという感じはありました。

 

僕はカーストの上位に位置したいというか、こんな人達と一緒ではないというような感覚が密かにあって、自分が小学生のときとある部分では似たような感覚を抱いたりしてました。

 

また、そんな自分がちょっと嫌だなとも感じていました。

 

結局、僕はその頑張りにより自滅する感じで、やっぱりそこでもうまく馴染めませんでした。

どこに行っても自滅する感じになります。

職場でもということです。

 

 

でも僕はずっとその地下室のような場所が気になっていて、というよりそこにいる人達がずっと気になっているのです。

 

もっと言えば、昨日母が見学に行った養護施設の、認知症の人、メンタルを病んでる人、どこかしら普通ではない、なかなかまともに生きることが難しい人(自分も含め)、どうしてもこうもよそ者みたいな感じなのだろう?という感覚が拭えません。

 

もっとうまく日の目をみることがないのなぁと思うのです。

そして、自分もその一員であることを受け入れることも難しいという感じです。

 

まるでモグラモグラとして生きれば良いよと社会から言われてるみたいで、ただのお荷物でせいぜい小さく楽しんで生きてくださいね、みたいに言われているようで。

 

僕のフィルターがそうさせてる部分もあると思いますが、現実としてそういう人達が存在します。

そして、考えすぎかもしれないけど、それらはある意味小さい頃から社会からの見えない小さな小さな犠牲を引き受けて来た人達であるような気がします。

 

勝手に踏んずけてのしあがって行った人達の、いわば下敷きのような存在という気がするのです。

 

汚なく暗く、目立たない存在達が、まさか自分達の何かを引き受けて陰ながら小さく存在しているとは、頭の片隅にもないかもしれません。

 

勝手に笑っていればいい

そんな捨て台詞を吐くくらいしか、今の段階では小さな存在達が光ってる気になっている存在達に対抗する手段は、なかなか少ないように思われるのです。


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例えそれが僕のインナーチャイルドの仕業だとしても。