死ぬ練習
ぶっそうなタイトルですが、ほんとに死ぬ訳ではありません。
オリンピックが終わりましたが、僕は昔陸上を少しやっていたのもあり、山縣選手を応援していました。
ただ、結果はそれほど望ましいものではなかったように思います。
それに対する感想は置いといて、なんとなく何故山縣選手は勝てなかったんだろう?というのをふと考えていたときに、外国人選手との違いが思い当たりました。
そうしている内に、環境が違うというのが頭に浮かんできて、どのように違うかといえば、生きるか死ぬかみたいな環境があるか無いかというようなことが頭に浮かんできました。
日本で生きていれば、一般的には平々凡々に過ごせるので、良くも悪くもそれなりにしかなりようが少ないということを思いました。
その時に、一旦死ななければならないみたいな、ほんとに死ぬ訳ではないけども、死ぬかもしれないという本能的な部分を刺激する必要があるのかもしれない、そんな風に思ったのです。
生きるか死ぬか、ほんとには多分死なないけど、死ぬかもしれない!という危機感以上に何かを発動させる方法はないのではないかと、そのようなアプローチ法を考え出しました。
やり方はまた別の記事として書こうと思いますが、とりあえず、一旦死ななければならないみたいな取り組みが必要だと思ったのです。