人生の波に乗る

 

今日は「人生の波に乗る方法・イメージワーク」の対談をZoomで視聴しました。

 

思ったより参加者は少なくて、しかも自分は午前中に撮った写真を載せて視聴してたけど、他の方は👤で視聴されてたので、最初は自分のイタさに耐える時間がしばらく続きました小笑

 

ヒーラボというオンラインサロンに僕は加入しているのですが、そこのオーナーさんとメンバーさんの2人が対談されるという形でした。

 

オーナーさんは、まっちんさん、メンバーさんはぴっぽーさん、このお二方でした。

 

2時間ほど対談を視聴させて頂きましたが、うーん2時間は結構長かったかも‥汗という感じはしましたが、後半30分辺りは良かったかなと思いました。

 

人生をより良いものにして行きたいと大抵の人は思うと思いますが、対談テーマである人生の波に乗るというのは、こんな風に言うとぶち壊しみたいになりますが、一律な答えというか、こうしたら良いという明確なものはないというのが、個人的には対談を視聴して改めて思ったことかもしれません。

 

言い換えればそれは、個人的な要素が多分に入ってくるもので、得意なことや苦手なこと、やり易いこととやりにくいこと、興味関心の違いなど、挙げ出すとキリがないくらい様々な要素がある中で、少しでも皆に共通する要素を見付けてみようじゃないかというのが、対談の趣旨でもあったように思います。

 

人生がうまく回ってるように見える人でも、報われない時間というのが各人長さの違いとしてもあるし、程度の違いとしてもあるということも改めて思いました。

しかも報われる保障もない、ガーン

まるでそれは、観覧車の下から上を見上げることに似ているような気もします。

 

対談の中で出てきた言葉の中で印象に残ったものが幾つかあって、1つはどんな形でも良いということです。

(具体的な言葉は忘れてしまいました汗)

 

波に乗るもよし、乗らぬもよし、あれもよしこれもよし、まぁ言ったら別に何でも良いというようなことです。

これは頭でわかってるつもりでも、やっぱりこっちの方が良いでしょ?っていうのが人間の性としてあるように僕は感じてて、それで行くと個人的には生きてて良かった!みたいに思える時もあるし、やっぱり辛いものは辛いという、現実的なギャップのようなところに想いを馳せたりします。

 

誰も痛いのは嫌だと思うし、なるべくなら嫌な思いをしたくはないものですよね。

 

そのときに、誰かに頼るということが必要というのが対談の中でもありましたが、この頼るということがなかなかの難関だと感じるのは僕だけでしょうか?

知らないけど頼り慣れてないと難しく感じるか、もしくはそれは一概に悪いとは限らないということもあるかもしれません。

例えば子供が自分の力だけで問題を解決しようという、弱さを見せようとしない踏ん張りみたいな感じって、やっぱりある訳じゃないですか。

 

それを見る人は、早く頼ってとか相談してとか思う訳ですが、いざ自分がそういう状態のときなかなかそう出来ない。

そこを助けてあげようか?とも言い難い。

なんて人間って健気で奥深いんですかねぇ。

 

全くの想像で行ってもOKというのであれば、あーちょっと手伝ってぇ、わかったいいよー、たったこれだけです。

 

それだけあなたはあなたなりに頑張って来てるということではないでしょうか。

それは必ずしもあなたに非があるということではないのではないかなぁと、僕は思ったりするのです。